2008年11月18日火曜日

ノンタイトル〜序章1〜

そこには、まぎれもなく彼女が立っていた。

僕は目を疑った。

彼女の今にも溢れそうな涙が、そのきれいな目を一層輝かせていた。

もうすでに僕の頬には、涙がいく筋にもなって流れていた。





2008年11月18日 火曜日。

僕は、火曜日に家の近くにある図書館に行くのが

いつの間にか、日課になっていた。

ここの図書館の休館日は月曜日だ。

だから、休刊日前に返却された本たちが

火曜日にはたくさん戻ってきているからだ。

それに、一日ゆっくり休んだこの図書館に漂う香りが好きだ。


火曜日は午後の授業がない。

大学も4回生になれば、単位を満たしている学生は

ほとんど、授業には出なくても良い。

空いた時間は、友達と遊んだり、バイトしたりの

気ままな生活だ。

そんな気ままな生活の中でも、自分だけの場所がある。

それが、僕にとっては図書館なのだ。

そして2階の書架Hのそばにある窓際の席が、僕のお気に入りの席だ。

書架Hには、世界各国の街並を撮影した書籍がずらっとならんでいる。

その街並をみていると、まるでこの図書館の2階から、海を越えて、国境を越えて

そこに立っているような錯覚に陥ってしまう。

木でつくられた家。

石でつくられた家。

その土地によって、様々な表情をみせてくれる。

僕たちが住む町、言葉の違う国の人たちが住む町。

そんな、街並や人、それに文化の違いを感じる事にここ最近だが、興味を持ち始めた。
 


そしていつものように、午前の授業が終わり自転車で図書館へと向かった。

自転車のスピードを上げれば、上げるほどに、向かってくる風たちが肌を刺す。

緑色のマフラーを、口元が隠れるほどまで上げた。

先程までの寒さはなくなったが、頬の痛みが一層際立った。

図書館は、学校から20分程の距離だ。

途中の自販機でホットコーヒーを買い、

その場では飲まずに左のポケットへつっこむ。

そしてあたたまった缶コーヒーをカイロがわりに使う。

優しさのある温もりが、左手から心に伝わってくる。

これが、僕の平凡な日常のほんのささいな幸せのひとつでもある。



自転車をとめて、図書館のゲートをくぐりエレベーターに乗った。

扉を閉めようとした瞬間、小走りでこちらに駆け寄ってくる女の子がいた。

急いで、閉じかかった扉を開いた。

彼女は会釈をしながら

「有難うございました!」と笑顔で言った。

普通なら、

「ごめんなさい」、「すみません」って謝罪の言葉を使うから

「ありがとう」というお礼の言葉を使われると

良い事した感じになってちょっと、気分がいい。

彼女は、香水をつけているせいか二人だけの箱の中に、

ほんのりとしたいい香りと、少し照れくさい時の流れが漂った。



そして、エレベーターが2階に着き扉が開いた。

私は「どうぞ」と言って

彼女を先に行かせた。

これは優しさではなく

彼女を背にして、かっこ良く歩いて行く自信が

少し緊張気味の僕には、とうていなかったからだ。

私はいつものように書架Hのコーナーへ向かった。

そして、気になったほんを2冊とり出し

お気に入りの席へ歩いて行った。


しかし、いつもの席には青いバッグが置かれていた。

「今日はついてないな」

と独り言のようにつぶやいた。

私はその後ろの席にカバンと本を置いた。

残念ながらこの席に沿った壁には、窓がない。

いつも、窓越しから景色と時間の移り変わりを

観察しながら本を読むのが好きだったのだが

本日の所はおあずけだなと、

自分自身に言い聞かせた。

そしてまず1冊目の本を、読み始めた。



そして読み始めてすぐだった。

白いコートを着た女性が私の横を通り過ぎて行った。

さっきの子だと咄嗟に感じた。

なぜなら、エレベーターで漂っていた香水の香りと同じだからだ。


そして彼女は私の前の席に座った。

椅子の前には、衝立てがあるので

彼女の様子は伺えない。

そんな事を気にかけても仕方がない。

そう思いながら、いつも通りの読書を楽しんだ。

どれぐらいの時間が経っただろう。

人数もまばらになり、館内に張りつめていた空気がより一層に増していた。

そろそろ帰ろう。

僕は、本とカバンを持ち立ち上がった。

すると、前に座っていたあの女の子は、コートを羽織りながら眠っていた。



一度は彼女を横目でやり過ごしたが、何故だか気になってしかたがなかった。

だが、残念ながら初対面の女の子に、平気で声をかける勇気等

僕にはとうてい持ち合わせているはずがない。



図書館のゲートをくぐり、自転車置き場へ行く途中に

ふと2階の窓に目をやった。

するとさっきまで眠っていた彼女も

帰る支度をしているようだ。

窓枠のガラスに映る彼女は

有名な絵画の女性よりも、僕には美しく見えた。

すると支度が済んだのか

彼女は、大きく伸びをしながら

大きな口を開けてあくびをした。


おもわず僕の顔に笑みがこぼれた。

と、その瞬間。

彼女と目が合った。

正確には、目が合った気がした。

僕は、咄嗟に視線を反らした。

そして次の瞬間には、彼女の姿はガラス窓の中からは消えていた。

時間は18時を迎えようとしていた。

外は既に暗くなり、寒さも一層身にしみる。

もうすでに、闇と寒さがこの世界を覆い尽くしていた。








0 件のコメント: