2009年2月18日水曜日

46歳。

「本日のコースの、メインは子羊のステーキ フィレンツェ風です。」

柔らかい手つきで、男は私の前に皿を置いた。

そして軽やかな身のこなしで、向えに座る麗子の横に立ち

同じ手つきで、皿を置いていった。

「ごゆっくり。」

男はさっそうと席から離れて行った。

麗子は、私の部下。

仕事はでき、だからと言って

女性を捨てている訳でもない。

才色兼備という言葉は、この女性にこそ

ある言葉だと私はつくづく思う。

そんな彼女を、今日やっと誘う事ができたのだ。

今日は部下である麗子と一緒に大阪まで出向き

夕方には、東京へ戻って来た。

そして、その足で予約しておいた

世間では話題の3星レストランで食事をしている。

今日は、金曜日。

何かが起こりそうな予感だ。

というよりも、私には最終兵器があるのだ。

おっと、私の自己紹介を忘れておりました。

私は、某大手商社に勤務するサラリーマン。

東大現役合格だけあり、社内でも出世頭なのである。

そんな私も、今年で46歳。

隠している訳ではないが、妻子もいる。

それはもちろん、部下である彼女も知っている事だ。

しかし、今夜は彼女と食事をしている。

そして何より、妻には明日まで出張だと言って出て来た。

「いつも、こんなご馳走めったに食べないので

 すごく感動します!」

よし!彼女は感動している!

レストラン選びに、悩んだ甲斐があった!

「その肉には、このワインとの相性が格別だ。

 君もどうだ、もう1杯飲みたまえ。」

何とも自然に酒を勧められる、スマートな男とは

そう!私の事なのだ!

「あまり飲み過ぎると、ちゃんと帰れるか

 心配になっちゃうな。

 でももう1杯だけ、頂こうかな。」

イエス!イエス!

おー神よ!今日の私のこの力!

これは夢なのか、悪夢なのか!

「まー今日は週末なのだから

 ゆっくり、飲めばいい。」

さり気ない、優しさ攻撃。

このジャブは、かれこれ1時間打ち続けている。

そして、この時間になってようやく効いてきたようだ。

そう!恋の世界チャンピオンとは私の事なのだ!


そして、最後のデザートが運ばれてきた。

女性は、このデザートにめっぽう弱いのだ。

「わー、すごく美味しそう。

 私、本当に甘いものに目がないんです!

 だから、体型とか最近すごく気にしてるんですよね。」

リーーチ!

そう、女性はデザートに弱ーい!

私のデータに間違いはないのだ!

この展開は、望んでいた展開!

しかし、こうもうまく行くと自分でも恐ろしくなる。


私は、右ポケットに手を入れた。

例の最終兵器は、しっかりとポケットの中で

温まっていた。


これさえあれば、今日は・・・。


そして私は、右ポケットからそれを取り出し

彼女の前に置いて言った。

「今晩どうだい?」

決まった!

この台詞、昨日からずっと練習していたのだ!

「何ですか、この鍵?」

そう、この鍵こそが私の最終兵器。

彼女と、情熱の枕投げをするためにとった

超1流ホテルのスイートルームの鍵!

彼女の感動のボルテージは最高潮に!

そして始まってしまうのだ、

彼女と私の禁断の恋が!

「本当にいいんですか!?」

本当にいいんですかって、こっちが聞きたいぐらいだ。

でも彼女は、完全にこの話に乗る気である!

「私ここに1度、泊まってみたいって思ってたんですよねー。

 それに、今日は少し酔っちゃったから、すごく助かります。」

助かるも何も、私が彼女に救われているのだ。

こんなにうまく行くとは、正直考えてもみなかった。

先日テレビのドラマで、この手口を使っていた時に

私はこれしかない!と思った。

そう思ったら、やはり実行に移すものなのだ。

私は、勝ち取ったのだ!

ビクトリーを!

「じゃあ、すみません。

 遠慮なく泊まらせて頂きます。」

彼女はそう言うと、自分のかばんに鍵をしまい始めた。

ん!?

様子がおかしい。

「でも、一人でこんな豪華なホテルが満喫できるなんて

 本当に夢みたい。彼氏とか呼んじゃっても

 大丈夫かなー。」

私は、ひとつ重要な事を忘れていた。

才色兼備な彼女にもたったひとつ欠点があったのだ。

それは、天然という欠点。

しかし、その天然さがより一層のかわいらしさを出していたので

今まで欠点とは思った事がなかったが

ようやくそれが欠点だと気付かされた。

「彼氏も呼んで、楽しむといい。

 スイートルームだから、問題はなかろう。」

こんな上司いるはずがない。

部下とその彼氏のためにスイートルームを用意するなんて。


しかし、まだ問題があったのだ。

今日は出張だと、妻に言ってきたので

私の今日の宿がなくなってしまったのだ。

3星レストランを出たあとに

今日の宿探しをしなければならないなんて

この店の従業員たちは、想像もしないだろう。

しかし、探さなければならないのだ。

私、一人がゆっくりと休める場所を。





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